-Douglas Kirkland-

[「マリー・クリスティン」

作詞・作曲・脚本/マイケル・ジョン・ラキューザ
演出/グラシエラ・ダニエル

オードラ・マクドナルドは女優としてのキャリアはまだそれほど長くはないが、「回転木馬」、「マスター・クラス」、「ラグタイム」とトニー賞の助演女優賞にノミネートされ、しかも三度とも受賞している。 彼女が今回初めて主演女優として出演する作品がこの「マリー・クリスティン」。 相手役には「蜘蛛女のキス」でトニー賞を受賞したアンソニー・クリヴェロ。 「蜘蛛女のキス」以来久々にブロードウェイの舞台に立つ。 

ギリシャ悲劇「女王メディア」を1890年代のアメリカ南部に置き換えた物語。 舞台下手奥に出演者用の観客席が組まれており、開演時間が近づくと次々とキャストが登場し着席する。 静かなオーヴァーチュアと共に舞台はシカゴ刑務所に移され、新入りの受刑者マリー・クリスティンに他の受刑者達がどんな罪を犯したのかを聞く。 

舞台は1894年のニューオリンズへ。 マリー・クリスティンがたまたま町を訪れた船乗りの白人男性ダンテと恋に落ちる。 しかしマリーとダンテの関係を好ましく思わない彼女の弟二人は別れるよう説得する。 しかしマリーは聞き入れない。 そして弟の婚約披露パーティーで、ダンテと弟二人の間で殴り合いが始った。 ダンテが弟二人により殴り殺されようとしているのを見かねたマリーは弟の一人を刺し殺してしまう。 

逃げるようにシカゴに移り住むマリーとダンテは二人の子供をもうける。 しかしダンテは州知事選挙に立候補し、マリーからしだいに心が離れていく。 そして彼は選挙資金のパトロン、ゲイツの娘と結婚したいためマリーに子供を置いて立ち去るよう告げる。 断るマリー。 ダンテは自分とマリーは子供は生んでも正式には結婚はしていないと言う(この時代、白人と黒人との間での結婚は認められていなかった)。 その上、ゲイツも彼女を脅迫し、ダンテと別れるよう命令する。 愛していた人に裏切られ、打ちひしがれるマリー。 そして逆上した彼女は我が子を自分の手で殺める。

作曲、脚本は「ハロー・アゲイン」のマイケル・ジョン・ラキューザ。 心に残るようなメロディーはなく、ほとんどの曲が登場人物の心理描写を歌ったもの。 一つの心理描写を語るのに延々と何曲も歌われ、物語の進行が非常に遅い。 

脚本はテンポが遅いのと同時に、到るところがあいまいだ。 例えばマリー・クリスティンの筋立てに一幕のほとんどを費やし、彼女の経緯が細かく語られるが、反対にダンテについては無一文の船乗りと云うこと以外は明らかにされない。 

演出は「アニーよ銃をとれ」のグラシエラ・ダニエル。 複雑な隠喩表現が余りにも多く使用され、それらがどういった意味を持つのか最後まで謎に包まれたまま終わってしまう。 全体的に穴だらけの演出であった。

オードラ・マクドナルドは迫真の演技、澄んだ歌声ともに素晴らしい。 しかし残念ながら彼女の本領が発揮されないままでいる。 アンソニー・クリヴェロについても同じ事が言え、これは演出と脚本の責任だと感じた。  

装置はこの劇場特有の大きな開口と広い奥行きを大幅に活用。 舞台下手奥には出演者用の客席が組まれ、上手奥には坂があり、その坂の上にはもう一つの舞台が広がっている。 また開口の左右には階段が組まれ、役者の登場口として使用されたり、またてっぺんには「ライオンキング」のようにアフリカン・サウンドを奏でる打楽器演奏者が配置されている。 非常に凝った装置だが、これだけ舞台全体に色々な装置が組まれていると、上演中どこに目をやって良いのかわからない事もしばしばあった。 

また出演者用の客席がどういった意図を持つのか理解できない。 マリー・クリスティンの悲劇をキャストも観客と一緒に観ているということだろうか? それにしては、出演者が自分の登場場面以外はずっとここに座っているのではなく、裏に引っ込んだり、時々この観客席に座ったりとあいまいな動きを見せる。  

今回観劇したのはプレビュー公演で、この日の完成度から見ても演出など今後ある程度の手直しが加えられる事が考えられる。 この時点でこの作品は面白くないと結論つけてしまうのはフェアではないと思われる。 しかしこれまでのグラシエラ・ダニエルの演出作を考慮すると、プレビュー期間と初日との間で大幅な変更があった試しがない。 せめて脚本が明快になれば、多少は作品の全体像が掴めるようになると思う。

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