-Disney-Hunchback of Notre Dame
ノートルダムの鐘
作曲/アラン・メンケン
作詞/スティーブン・シュワルツ
振り付け/ラー・ルボヴィッチ
演出脚本/ジェームズ・レパイン
ディズニーの最新作ミュージカル「ノートルダムの鐘」が世界に先駆けドイツのベルリンで開幕した。 今回はディズニーとドイツで多数の大型ミュージカルを翻訳上演しているエンターテイメント会社、ステラとの共同プロデュース。
このミュージカルはヒット作、「美女と野獣」や「ライオンキング」と同じくアニメ映画(96年公開)の舞台化である。 原作はヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートル=ダム・ド・パリ」。 原作とは違いハッピーエンドで終わった映画版の評価は賛否両論であった。 作曲は「美女と野獣」のアラン・メンケン。 作詞は今年「プリンス・オブ・エジプト」でアカデミー賞を受賞したスティーブン・シュワルツ。 演出、脚本は「ジョージの恋人」などのジェームズ・レパイン。 出演者はアメリカ、ドイツ、フィリピンなどから集められ、一旦英語でリハーサルされた後、ドイツ語に翻訳された。 翻訳を担当したミカエル・クンツェは「エリザベート」の作詞、脚本を書いたことでも有名だ。
今回上演されている劇場はポツダム広場に新しく建てられたミュージカルシアター・ベルリンで、この作品が柿落としとなる。 客席数1800でゆったりした劇場空間はミュージカル専用劇場にはもったいないような気もする。
ノートルダムの鐘の音が客席に響き渡り、静かなコーラスと共に幕が上がると舞台両サイドに聳え立つ幾つもに区切られたボックスの中に白いローブを纏ったノートルダムの修道士たちが並んでいる。 そして舞台の回し役のクロパンが片足で杖を突き表れ、タイトルソングにとともにノートルダムの鐘つき男の物語を語り始める。
15世紀のパリ、法に厳格な判事フロローは、法を守らないジプシー達をパリから一掃しようと、兵を動員しジプシーを追い立てた。 そして彼は殺めたジプシー女が抱いていた奇形の赤子を寺院の鐘つき堂に隠し育てる。 その男児、カジモドは醜い容姿とは反対に心優しい青年に成長し寺院の鐘つき番となる。
外の世界に憧れるカジモドはある日、フロローの言い付けを破り、道化の祭りに出掛けてゆく。 祭の人出に紛れて町を歩き ジプシーダンサーのエズメラルダと知り合い、一目惚れ。 カジモドは道化王に選ばれるがその醜さが生来の奇形によるものと判ったとたん観客は彼を縛り上げ迫害する。 エズメラルダが彼を助けるが、祭で踊った彼女に年甲斐もなく魅せられたフロローがジプシー討伐を名目にして、エスメラルダ逮捕を警備隊長のフィーバス大尉に厳命する。 ノートルダム寺院にかけ込み逃げ場を失ったエズメラルダを今度はカジモドが逃がす。
エズメラルダを血眼になり探すフロロー。 しかし警備隊長のフィーバスもまたエズメラルダに魅せられ、フロローの命令にそむき矢を受け川に転落する。 彼の窮地をエズメラルダが救いカジモドが鐘つき堂に匿う。 しかしフロローの罠にはまり、フィーバスとエズメラルダは逮捕され、カジモドは鐘つき堂に閉じ込められる。 フロローの求愛を断ったエズメラルダは死刑判決を受ける。 しかしカジモドが彼女を処刑台から救い寺院に飛び込み「聖域」を宣言。 寺院の聖域を侵し、侵入してきたフロローを、カジモドが寺院の屋上から突き落とす。
今回の舞台化にあたり大幅に変えられたのはラストシーンであろう。 映画版ではカジモドに救われたエズメラルダはフィーバスとの愛を誓い合い、カジモドは英雄になり、ハッピーエンドをむかえる。 舞台版ではカジモドがエズメラルダを処刑台から救うが、すでに遅くエズメラルダは息絶え、カジモドはエズメラルダを抱きフィーバスと共に去ってゆく。 この他映画ではあまり語られなかったエズメラルダの経歴、フロローのエズメラルダに対する強い欲望などが細かく語られた。 また映画、原作共に重要な役割を果すエズメラルダのヤギは舞台には登場しない。
舞台化にあたり9曲の新曲が付け足された。 その内の一曲「エズメラルダ」が何度も効果的にリピートされる。 その他映画ではサウンドトラックとして使われていたメロディーに歌詞をつけたもの、また映画の中では使用されなかったが、挿入歌であった「サムデイ」が2幕エズメラルダが死刑台に向かう際使用され場面を盛り上げた。
装置デザインを担当したのは「秘密の花園」でトニー賞を受賞したハイディ・エティンガー。 一見シンプルに見えるがハイテクを駆使した大掛かりなセットであった。 11段に別れたセリが別々に上下し、客席側に傾く。 それにプロジェクターで寺院の柱や橋などを映し出し場面を作る。 特に素晴らしかったのが一幕の最後、フィーバスが矢を受け川に転落する場面。 舞台奥の床が高くセリ上がり、それに橋の映写が映し出される。 舞台手前の床は客席側に傾き、そこへ川の激流が映し出される。 橋の上に立ったフィーバスが敵の矢を受けるとともに橋のセリが下がり舞台手前に傾き始め、そして舞台全体に川の流れが映し出される。 この間、役者は装置の斜面上を転がるだけなのだが、プロジェクションとセリがいかにも川に転落したかのように見せ美しいイルージョンを作り出していた。
また、フロローがエズメラルダへの想いを歌う「ヘル・ファイアー」のナンバーでは礼拝堂のマリア像がエズメラルダの霊に変わりフライングで舞台を舞う。 しかし劇中重要な役割を果たすノートルダム寺院の鐘が音のみで実際に装置として登場しなかったのには、物足りなさを感じた。
衣装は映画に忠実であった。 カジモドの相談役となる石造の三人組みの衣装は舞台版「美女と野獣」に登場した時計や蜀台の衣装を思わせるコミカルなデザインで、3人組みが映画から抜け出してきたかのようだ。
ジェムーズ・レパインは知的な演出をすることで有名である。 この作品でもフロローが祭りで拾ったエズメラルダのスカーフに異様なまでの執着心を見せたり、逮捕したエズメラルダに求愛を嘆願するなど、シリアス性がかなり強調された。 しかし一方で作品のテンポが常に一定で迫力に欠け、道化祭りのシーンなどは盛り上がりを見せることなく終わってしまう。
カジモドを演じたのはアメリカ出身のデュリュー・サリッチ。 映画では優しく内気な青年として描かれていたが、彼は優しさの他にも醜い怪物としての恐ろしさを表現していた。
エズメラルダを演じたジュリー・ウェイスは安定した歌唱力の持ち主だが、ジプシーには見えず、なぜこの人物に沢山の男が魅せられたのか疑問が残った。
舞台回し役のクロパンを演じたのは若手のジェンズ・ジェインク。 片足の乞食として登場したり、道化の衣装でダンスを披露したりと難しい役柄を器用にコミカルに演じた。 フロローを演じたドイツ人のノバート・ラムラは厳格さがなく力強い歌声のみが印象に残った。
演出、脚本、美術それぞれに工夫がなされている。 しかし残念なのはそれぞれが上手く噛み合っておらず、作品全体のバランスが非常に悪い事である。 ディズニーミュージカルに期待されるマジックはほとんどなく今までの作品のように子供から大人まで楽しめる作品とは言い難い。 脚本と演出は原作に忠実でシリアスな一方、衣装や振り付けは映画版のディズニーらしさが抜けきれておらず、そのミスマッチが気になった。 良い面を沢山持った作品であるのは確かだが、このミュージカルをブロードウェイ、さらには世界で上演するのであれば手直しが必要だと思われる。